ふたりぐらし





帰ってくるとトマトの瓶がぶちまけられていた。玄関からすぐ居間に通る俺たちの住まいの、それは俺の侵入を拒否するようにべったりと広がっている。トマトの瓶というのはトマトを煮込んでトロトロにした半液体で、カーペットなんかに染みついたら大惨事になる代物だ。なにも敷いてなくて、貧乏でよかった。床一面の赤はなんとなく足ふきマットを連想させた。

困ったなあと思いながら、実のところあんまり困ってなかった。そのままべちゃべちゃと踏みつけてあがりこむ。我愛羅は部屋の隅っこに丸まっている。

「ただいま」

猫のような我愛羅は黙ったままだったので、俺はそのまま床を汚しながら台所に行き雑巾を取った。足を片っぽずつ拭きながらカップラーメンが残ってなかったらどうしようかとか考えた。



我愛羅と暮らして抜け落ちてゆく現実感。



雑巾をシンクにたたきつけて、我愛羅のもとへ向かう。我愛羅は眠るでもなく起きるでもなく、死んでいるように見えた。

「我愛羅」

まばたきをひとつして、我愛羅は俺を見た。緑の目が濁っていて、俺はトマトの件を言い出せない。

「……ただいま」

「ああ」

生気のない瞳に息が止まりそうだ。俺は我愛羅と世界で二人きりのような錯覚を覚えた。部屋がどんどん膨張してゆく。部屋が世界を食らう。俺は我愛羅に触れようとおそるおそる手を伸ばした。背中が妙にこわばって痛んだ。


我愛羅と暮らして抜け落ちてゆく現実感。ふわふわと夢のようになにかが欠落している日常。俺は硬直する。さわれない。背中の痛みが限界にきていた。

「あれ、拭いとけよ」

苦し紛れの言葉はぜんぜん適切じゃなかった。

「分かった」

我愛羅は今までの態度が嘘のような機敏さで起き上がり、すたすたと歩いて台所へ向かった。水道の蛇口をひねり俺が使った雑巾を勢い良く洗う。そして俺が辿ったみちをごしごしと拭ってゆく。

間違っていた証拠にその後ろ姿を見て俺は猛烈に後悔した。あの赤は我愛羅の血だ。あいつの主張をあいつ自身に抹消させてしまった。それは取り返しのつかない失態に思えた。

我愛羅と俺はいつまで一緒にいられるのだろうか。長くない気がして悲しい。